あの日から12年

今日は2023年3月11日。

東日本大震災から12年。

干支でいうと1周してしまった。
この12年が「あっという間」か「まだ」か「止まったままか」は人それぞれなのだろうけど、12年間ずっと思ってきたことは「この経験で自分が何を思ったのか忘れてはいけない」という思い。

当時はまだ結婚しておらず、ママとはお付き合いをしていた時期で、その時は二人で西伊豆の旅行中。
帰る途中、いちご狩りをするために江間に立ち寄った所で地震に遭遇。その時乗っていた車がすごい勢いで揺れたから「すごい強い風が吹いた」くらいに思っていたけれど(当日は確か風が強かった記憶)その後立ち寄ったいちごプラザで見たNHKのテレビで東北地方をとても大きな地震が襲ったことを初めて知った。
テレビを見ている間にも余震が何度か発生して、広範囲にわたって「津波警報」が出ていて(この時はまだ大津波警報という区分はなかったと思う)これはかなり深刻な状況かも知れないから早く帰ろうという話になった。

箱根に向かう道中、車中で流していたラジオはどれも地震情報だけで、しかも流れてくる情報はどれもとても深刻な情報ばかり。
海沿いの道路はどれも通行止めで生きているのは国道1号線のみで、すでに渋滞が発生している様子。
ママの実家、自分の実家の状況が分からなかったので電話をしたけど、すでに携帯電話はつながず…途中にあった公衆電話からそれぞれの実家に連絡をしてみんなの無事を確認。

箱根の湯本あたりまでは特に渋滞もなくスムーズに進んでいたけど、湯本を過ぎたあたりで渋滞につかまる(この時点で夕方の17時くらい)
ここから全く進まなくなる(3時間くらいで50メートルくらいしか進まなかった)
渋滞を抜けてママを実家に送り届けたのが、確か日付が変わって午前2時を過ぎていたと思う。

海沿いの主要道路や高速道路は通行止め、それに伴う大渋滞。電車も運転見合わせ、コンビニから食べ物がまったくなくなってしまった光景…生まれて初めて経験する事で、しばらくはこれが現実のものだって思えない自分がいた。

自分を含め家族や知り合いで亡くなってしまった人はいなかったけど、それは「たまたま」震源地から離れていただけで、もしかしたら自分がまきこまれていた可能性もあるわけで、震災後仕事にあぶれるようなこともなく、ママと結婚して二人の子供に恵まれた。その違いって何なんだろうって思うことがある。

当事者になっていないから当然イメージしかできないんだけど、もし自分にとって大事な人がある日突然いなくなってしまったら、自分はどうなるんだろう。

耐えられないだろうな。
今まで当然のように存在していた人がある日突然いなくなる。
話すこともできなければ、顔を見ることもできない。
それも今日だけではなく、この先ずっと…。

よくドキュメンタリー番組で家族を亡くした方が出ているけど、彼らは自分の気持ちにどう折り合いをつけているのだろうか。
つけられるものではないと自分は思ってしまうな。
もちろん時間が解決してくれるとも思えない。

ありきたりなんだけど、今生きているのは当たり前の事ではないってこと。

地震のような自然災害、交通事故、病気…ママに対しても、親に対しても、子供に対しても「生きていてくれてありがとう」

「ありがとう」

この気持ちって大切なんだけど、思い続けることって意外と難しい。
慣れてしまって当たり前になってしまう。
そして何かがあったときに、大切だということをまた思い出す。
それの繰り返し。

当たり前のことが当たり前ではないんだと気づき、目の前の事に感謝する。
それを思い続けるのは簡単ではないけど、折に触れて思い出せるようにしていきたい。